2024-02-15
ISSUE
009
CATEGORY:
Critique
LOCATION:
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////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////2023年10月14日にワールド北青山ビルにて開催されたデジタルファッションをめぐるカンファレンス「次元を超えるファッションデザイン/FASHION ACROSS THE PLURIVERSE」。Synflux株式会社が株式会社凸版印刷の協賛のもとで開催した本イベントは、デジタルとフィジカルの融合を前提に新しく勃興している「次元を超えるファッションデザイン」の可能性を探索するリサーチプラットフォーム「WORTH」の公開を記念して開催された。メタバース上でのアイデンティティやファッションについて、またリアルとバーチャルを架橋する可能性や手段について、専門家や研究者と共に探究し、多角的な視点からの議論が展開された。
今回、このイベントを振り返ると同時に、ここで展開された議論をさらに深堀り、補完し、さらなる活動へと繋げるためのクリティーク集「FASHION ACROSS THE PLURIVERSE EXTENDED」をお届けする。イベントでの議論をもとに、若手の研究者や活動家たちは何を受け止め、考えたのか。さらなる展開へと期待が高まるテクストを、お楽しみいただきたい。
今回はマテリアル開発におけるデジタル技術応用を議論したセッション、「WHY DIGITAL MATERIALS MATTER/なぜ今、デジタル/マテリアルか?」に対して、文化と芸術の社会学を専門とする小形道正さんの批評を寄せていただいた。
※イベントのアーカイヴはこちらからご覧いただけます。
「次元を超えるファッションデザイン/FASHION ACROSS THE PLURIVERSE」
わたしたちにとってよりよい生活とはどのようなものなのだろうか。どうすれば美しく、機能的で、心地よい日々を過ごすことができるだろうか。充実したわたしたちの生活。
デジタルとフィジカルを融合させながら、衣服生産時の素材廃棄を減らすサスティナブルな取り組みを行っている、スペキュラティヴファッションラボラトリーのSynfluxによるカンファレンス「FASHION ACROSS THE PLURIVERSE」が開催された。第4部の「WHY DIGITAL MATERIALS MATTER/なぜ今、デジタル/マテリアルか?」では、福原志保氏と細尾真孝氏との鼎談が行われた。福原氏はEmpathy Economy(共感経済)とCircular Alchemy(循環文化)を掲げ、自然/人工やデジタル/アナログを超えて、過去/未来を繋ぐSocia Matetialを創ることを試行しており、そこでは規格品ではない自らの唯一性を求める工芸と族車に共通項を見出す「工藝族車」や故人の遺伝子を一本の樹に取り込んだ記念樹プロジェクト「Biopresence」などが紹介された。一方、細尾氏は西陣にて織物を生業にしている株式会社細尾が約1000年間の歴史を継承しながら、従来の帯のテキスタイルだけではなく、ラグジュアリーブランドや高級ホテルへの家具や壁面の内装材の提供や、クラゲの蛍光タンパク質を蚕に組み換えて青い光を当てることで緑色に発光する糸によるドレスの開発などについて話がされた。その後のディスカッションでは、まずは近年の工芸における価値の問題、なかでも海外と国内における評価の相違や、作業員とクラフツマンあるいは工場と工房による従業員の意識改革など、やはり労働ないしビジネスの課題について挙げられていた。そして、終盤にはスマートテキスタイルの今後の可能性や、やや視覚や言語に偏重しているAI(人工知能)の今後の触覚や身体性への拡張、そして人間の知覚の先への展望――ここでは変態知能と呼ばれていた――についても触れられていた。
冒頭に記したのは、この鼎談をうけてのわたしの率直な感想である。紹介されたそれぞれの作品への取り組み、その説明についてはもちろんいずれも大変興味深かった。なかでも、やはり職人の技術と時間が詰め込まれたモノをみると心が動かされる。だが、同時に、ひとつのモノそれ自体としてではなく、他のモノとのつながり、また全体の空間のしつらえや雰囲気、そしてなによりそれを使う人、用いる人との関係はどうだろうか。モノはモノとしてあるだけではない。モノはそれを使うひとりひとりの人間との営みのなかで生まれ、育っていくものではないだろうか。そこには人びとの生活をめぐる現実と理想や夢がある。
わたしたちの生活。わたしたちはこれまで一体どのような生活を望み、いかなる夢をみてきたのだろうか。たとえば、かつて19世紀から20世紀へと移り変わろうとするとき、イギリスのアーツ・アンド・クラフツをはじめ、フランスのアールヌーボー、ドイツのユーゲントシュティール、ウィーンのウィーン工房、日本では柳宗悦らによる民藝運動が興った。その後に続く、アールデコやロシア構成主義、デ・ステイル、バウハウス、未来派なども挙げられるだろう。もちろん、いずれの運動も必ずしも一致していたわけではないし、そこから制作されたデザインや提示された趣旨が同じだったとはいうことではない。だが、少なくとも、わたしたちの生活をめぐる問題が世紀転換期に各地で同時代的に発生していたことは重要なことであるように思う。
それでは、20世紀から21世紀へと新たに世紀を跨ぐなかで、わたしたちは現在わたしたち自身の生活について一体何を問うているのだろうか。どのような社会を、どのような未来を夢みているのだろうか。近年問題となっている、デジタル/アナログや視覚/聴覚をはじめ、環境や倫理といった問題を含め、わたしたち自身が立脚している台座そのものについて改めて問うてみる必要がある。たとえば、日々の生活に欠かすことができない衣食住のひとつである衣においては、物理的な身体とアバター的な身体ではゲームやソーシャルメディアの進展のなかで後者がますます重要視されつつある。ほかにも、わたしたちはますます実物の商品を手にすることなく、スクリーン上のECサイトにて判断し、購入している。けれども、こうしたひとつひとつの事例が特異かつ面白いからこそ、であるがゆえに、その全体的な問いを手放してはならないように思う。具体的なひとつひとつの現象という根と、わたしたちにとっての衣服、わたしたちにとっての生活という抽象的な問題である翼、この双方への視線である。
生きられた生活への問い。さきでは2つの世紀転換期を挙げたが、それは決してこれらに限定されるものではない。かつてフーコーが生存の美学をかけてギリシアやローマへと遡っていったように、衣食住そして生活への問いは人間の有史以来はじまっているのではないだろうか。よりよい日々の生活、よりよく生きること、より美しく生きること。人間の生活すること、生きることをめぐる現実と理想。その軌跡に今のわたしたちの生活がある。生きながら、問うことを、この世界のひとりの人間として考えていきたいと思う。
1985年、長崎市生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程満期単位取得退学。大妻女子大学家政学部専任講師。専攻は文化と芸術の社会学、社会理論、現代社会論。主な論文に「ファッション・デザイナーの変容――モードの貫徹と歴史化の行方」(『社会学評論』No.265、2016年)、「贈与・所有・変身――衣服をめぐる欲望の相乗性と相剋性から」(『思想』No.1192、2023年)など。主な展覧会に「ドレス・コード?――着る人たちのゲーム」(2019-21年)など。