2024-02-01

ISSUE

007

CATEGORY:
Critique

LOCATION:

Physical and/or Virtual: バーチャルファッションが「ファッション」となる未来を考える

Text by 増野朱菜

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2023年10月14日にワールド北青山ビルにて開催されたデジタルファッションをめぐるカンファレンス「次元を超えるファッションデザイン/FASHION ACROSS THE PLURIVERSE」。Synflux株式会社が株式会社凸版印刷の協賛のもとで開催した本イベントは、デジタルとフィジカルの融合を前提に新しく勃興している「次元を超えるファッションデザイン」の可能性を探索するリサーチプラットフォーム「WORTH」の公開を記念して開催された。メタバース上でのアイデンティティやファッションについて、またリアルとバーチャルを架橋する可能性や手段について、専門家や研究者と共に探究し、多角的な視点からの議論が展開された。

今回、このイベントを振り返ると同時に、ここで展開された議論をさらに深堀り、補完し、さらなる活動へと繋げるためのクリティーク集「FASHION ACROSS THE PLURIVERSE EXTENDED」をお届けする。イベントでの議論をもとに、若手の研究者や活動家たちは何を受け止め、考えたのか。さらなる展開へと期待が高まるテクストを、お楽しみいただきたい。

今回はメタバース上でのアイデンティティやファッションを議論したセッション、「PRESENT AND FUTURE OF VIRTUAL BODIES/バーチャルな身体の現在と未来」に対して、ファッション研究者の増野朱菜さんの批評を寄せていただいた。


※イベントのアーカイヴはこちらからご覧いただけます。
次元を超えるファッションデザイン/FASHION ACROSS THE PLURIVERSE

Session 1「PRESENT AND FUTURE OF VIRTUAL BODIES/バーチャルな身体の現在と未来」清水知子(東京藝術大学大学院准教授)+難波優輝(美学者 / SF作家)+川崎和也(Synflux株式会社 代表取締役CEO)

本セッションのテーマであるバーチャル空間におけるアバターを活用したファッションの取り組みは、いうまでもなく近年広がりを見せている。セッション冒頭川崎氏によって説明された通り、BALENCIAGAやNIKEといった有名ラグジュアリーブランドやスポーツブランドを筆頭に、多くのアパレルブランドがバーチャルファッション事業に参画しているし、The Fabricantのようなクリプトファッションの制作を専門とする集団が登場して久しい。また難波氏のプレゼンテーションによって示されたように、近年はアバターを活用する個人についての研究もなされている。一方、個人的な話となるが、私自身のバーチャルなファッションの実践はというと、2023年頭にメタバースSNS「Bondee(ボンディー)」をダウンロードし、数日間プレイした程度である。自分の外見を模した3Dアバターを制作したり、自分らしいと思える服装をプリセットの中から選んだり、友人のアバターとアプリ内で交流したり、それなりに楽しんだ記憶はあるが、気づけばもう1年近くアプリを開いていない。中にはVTuberやVRゲームを嗜む知人もいるが、メタバース上でのコミュニケーション機会は一部の人々の趣味の領域にとどまっており、アバターを活用したファッションの実践は多くの人にとって、日々服を着ることによる現実のそれとは未だかけ離れているように思われる。

ここではセッションで展開されたバーチャルな身体の議論と、日々のファッションの実践を研究対象とするワードローブ・スタディーズの事例を参照しながら、その類似や相違について考えてみたい。現実のファッションはアバター活用のファッションがより一般的となる未来のヒントを与えうるだろうか。



ままならない現実と可塑的なバーチャル

セッションでは可塑性をキーワードに、現実のファッションのままならなさと、それに対する回答としてのアバター活用について、実際のユーザー体験を参照しながら議論がなされた。現実におけるファッションの行為は常に多くの制約のもとでなされ、その制約は物理的・肉体的なものの場合もあれば、TPOに合わせた格好をすべきといった社会的なものの場合もある。特に後者は、ワードローブ・スタディーズがしばしばアーヴィング・ゴフマンの理論によって裏付けられることからも明らかである。人々は理想的な社会的存在として振る舞うと同時に、他者のことも彼らの外見や振る舞いによって判断する行為者とオーディエンスの関係にあり、ファッションはそのための小道具として存在するのである(Goffman, 1956)。リーズ大学教授のエフラト・ツェーロン(2018, p.240)はこれを「行為者とオーディエンスは両者とも、面子を保つよう企図されたゲームに閉じ込められている」と表現したが、セッションで話題に上がった「セーラー服おじさん」はまさに、そうしたゲームへの参加を自ら棄権する人々といえる。

一方バーチャル空間ではアバターの外見は自由に選択可能で、VRチャットでは社会的交流の場も自ら作成することができる。セッションではこの実例として、実生活では性自認が男性ユーザーがVRチャットで美少女アバターを使用する「バ美肉(バーチャル美少女受肉の略)」が紹介された。ユーザーは美少女としてのバーチャル空間上での振る舞いを通して、社会性やコミュニケーション能力の向上を経験しているという。アバターの外見に「ふさわしい」振る舞いをするという点においては現実と代わりないが、「何の役を演じるか」を外見にとらわれず選択可能という意味で、バーチャル空間は現実における制約からは逃れられるように思われる。難波氏は著作の中で、こうした先天的な身体に依拠しない営みを「拡張したおしゃれ」と呼び「アバターによるデジタルなおしゃれは、物理的なおしゃれよりも一層可能性に満ちている」としたが、この可能性こそが特別なユーザー体験を叶えているといえる(難波, 2021, p.96)。一方で、セッションでもジェンダー観の再生産として問題視されたように、あるバ美肉ユーザーが「現実の自分がはしゃいだり笑ったりしていると気持ち悪い(けど美少女アバターでそれをしているのは特に問題ない)」というとき、彼自身はアバターを使うことで一時的に現実世界の制約を逃れてはいるものの、マクロでは既存の社会的価値観に留まっていることは指摘しておきたい。

もう一つ「ままならなさ」について考えてみよう。バーチャル空間においてはクリック一つでアバターの外見を自在に変更できる一方、現実では身体の変更どころか着替えることすら容易でない状況もありうる。例えば朝慌てて着替えて出てきた服装がどこか気に入らないとしよう。今すぐ近くの店に入って全身買い替えるほどではないけれども、気分が乗らなかったり周囲の目が気になって早く家に帰りたいと思うかもしれない。このようにファッションによって感情や行動が左右されることは「美少女アバターを使用しKawaiiムーブを行う」バ美肉にも当てはまるといえる。しかしネガティブな感情が引き起こされる経験は、現実に特有ではないだろうか。別の例として、イギリスの社会学者で物質文化や日常生活、消費行動を研究するソフィ・ウッドワード(2005, p.36)の、ロンドンで暮らす女性のファッションの実践の記録をあげよう。ある30代の女性は、高級レストランでのディナーのためにシックで洗練された装いをしようと、カーキのワンショルダートップスにお気に入り黒のレザースカートとレザーコートとレザーブーツをコーディネートし出かけるが、シックで洗練されているはずの装いは、レザーづくめでまるでバンドマンのようになり、年不相応で場違いな格好として「失敗」したという。

こうした現実のファッションの失敗を招く要因の一つとして、身体の存在は無視できない。セッションでは清水氏が「ハイヒールを履くことによる足の痛み」を現実に固有の体験としてあげていたが、我々の日々のファッションの実践は常に身体の経験といってもいい。先述のウッドワード(2005)の例においても、風を通さぬレザーの中で不快な汗をかきながら、女性が自らの装いを一層後悔する様は想像に難くない。つまり現実でのファッションは触覚によっても知覚され、これはほとんどの場合視覚情報にとどまるバーチャルファッションとの大きな違いである。メルロ=ポンティの現象学が裏付けるように、現実世界のファッションは「着用者によって、身体装飾が単なる視覚的現象としてではなく同時に触覚的経験として経験される」のである(ネグリン, 2018, p.191)。つまり、アバター活用のファッションは現実における制約からは解放される一方で、身体性の欠如によってその体験の濃度は薄まっていると考えられるのではないか。

清水知子(東京藝術大学大学院准教授)


バーチャルファッションに愛着は芽生えるか?

ここからは、バーチャルなファッションが私たちとより密に関わる未来について、物理的なファッションと照らし合わせて想像してみたい。オスロの研究者であるイングリッド・ハウスグルド(2023, pp.68- 69) は、どのような衣服がどのような形で所有者にとって価値を持つかを調査したインタビューの中で、価値ある衣服は、新しさや金銭的価値に加え、特に以下の5つのカテゴリーに当てはまる傾向にあるとしている。

1)time and memories(時間と記憶)
2)comfort and well-being(快適さとウェルビイング)
3)love(愛)
4)invincibility(無敵)
5)personal style and expression(個人的なスタイルと表現) (筆者翻訳)

これらをバーチャルなファッションに当てはめると、項目4、 5については、現実よりも一層自由な形で叶う機会を与えられる一方で、項目2については上述の通り、現時点では現実に固有の体験に留まっている。アバターでは不快感を味わうことがない代わりに、快適さを味わうこともない。しかしながら「物理空間でのファッションとバーチャル空間でのファッションの交渉はどのようにしてなされるか」との清水氏の問いに対し、川崎氏がアバターを実際に物質化する『WORTH』の取り組みを挙げたように、我々がバーチャルなアイテムを「体験」する方法は今後拡大の可能性がある。アバターの物質化によって、またはVRデバイスの発達によってアバターが視覚情報の域を超えるとき、バーチャルなファッションは我々とより密に関わっているかもしれない。

川崎氏はこの物質化の取り組みを即物的であるとし、心理的な接近に貢献しているかどうかは実験段階にあると付け加えたが、その心理的な接近はハウスグルドによる項目1、3に当てはまるだろう。アバターとして愛用しているアイテムが物質として手触りを持つとき、そこにもある程度のストーリーがあり感動を呼ぶと想像できるが、ここで難波氏がセッションで紹介したPlayer-Avator Relationshipの考え方を応用したい。ユーザーとアバターの間には「Object(道具)」「Me(自分自身)」「Synbiotes(共生者)」「Other(他者)」の4種のポリティクスがあるとされ、特に議論の中心となったのはアバターをユーザーから独立した社会的主体として扱う他者の関係性である。あるユーザーが「 アバターを自身のバーチャルな娘のように扱っている」と話すように、アバターをケアや慈しみの対象と見なす声は非常に興味深い。セッションではこの他者としてのアバターの概念を物理的なファッションにどのように当てはめうるかも議論され、『ど根性ガエル』のピョン吉のようにTシャツが着用者から独立したパーソナリティを持つ例や、微生物が服を作るバイオファッションの例が挙げられた。一方で、現実のファッションには当てはめがたいこのアバターとユーザーに特有な関係が、「時間と記憶」「愛」の要素を複雑な形で満たし、現実のファッションでは味わえない新たな心理的結びつきとして、人々とバーチャルファッションの距離を近づける役割を果たすとも考えられるのではないか。

さらにはここでSNSについても触れておきたい。ブランドによるデジタルコミュニケーションについての論文の中で、フィンドレー(2019)が「aspirational realness (理想的な現実)」と呼んだように、SNSに投稿される写真からは現実のままならなさが消去され、故にSNSは現実とバーチャルの境界に位置しているともいえる。Instagramにも自身のアバターを設定できる機能が備わっているが、SNSを筆頭に「身体」がアバターに近づいたり現実とバーチャルが入り組んでいく動きは今後も活発になっていくと想像される。

難波優輝(美学者 / SF作家)



最後に

ここまで、セッションの議論とワードローブ・スタディーズの事例を比較しながら、アバターを活用したファッションの実践がより多くの人にとっての未来となる文脈を考えてきた。バーチャルなファッションは、多くのユーザーが未だ現実の価値観に基づいて使用しているという点で、真に自由とは言えないかもしれないが、現実のままならなさを乗り越えるための新たなファッションのあり方や楽しみを叶える可能性を秘めている。また衣服やデジタルデバイスの今後の発達によって、物理空間とバーチャル空間がシームレスにつながり、現実のパーソナリティをより詳細にアバターに反映したりアバターを通して複数のパーソナリティを保持したりする人が増え、VRがSNSのように人々の生活及びファッションと深く結びつく日も遠くないかもしれない。それぞれの特性を互いに補完し合う時、バーチャルファッションがより身近なものになるだけでなく、物理的なファッションにおいても新たな可能性が開かれることが期待される。まさにファッションデザインというだけでなく、ファッション自体をリデザインしていくフェーズにあるといえるだろう。

参考文献

  • ツェーロン, エフラト (2018)「アーヴィング・ゴフマン:文化観察の技法としての社会科学」関根麻里恵訳, アニエス・ロカモラ&アケネ・スメリク編『ファッションと哲学』蘆田裕史監訳, フィルムアート社, pp.234−257.
  • 難波優輝 (2021) 「身体のないおしゃれ:バーチャルな『自己表現』の可能性とジェンダーをまとう論理」vanitas 007, アダチプレス, pp.91-105.
  • ネグリン, ルウェリン (2018)「モーリス・メルロ=ポンティ: ファッションの身体的経験」小林嶺訳, アニエス・ロカモラ&アケネ・スメリク編『ファッションと哲学』蘆田裕史監訳, フィルムアート社, pp.180−207.
  • Findlay, R. (2019) ‘“Trust Us, We’re You”: Aspirational Realness in the Digital Communication of Contemporary Fashion and Beauty Brands’, Communication, Culture & Critique, 00, pp.1-17.
  • Goffman, E. (1956) The Presentation of Self in Everyday Life. University of Edinburgh.
  • Hausgrud, I. (2023) ‘Method19: Wardrobe studies’, in K. Fletcher and I. G. Klepp (eds.) Opening up the Wardrobe: A Methods Book. Novus forlag, pp.68-69. Available at: https://omp.novus.no/index.php/novus/catalog/book/26 (Accessed: 19 December 2023).
  • Woodward, S. (2005) ‘Looking Good: Feeling Right - Aesthetic of the Self’, in S. Küchler and D. Miller (eds.) Clothing as Material Culture. Berg, pp. 21-40.


増野朱菜

1995年生まれ。ロンドン芸術大学 ロンドン・カレッジ・オブ・ファッション MA Fashion Cultures: History and Culture 修了(芸術学修士)。現在は広告代理店に勤務し、ファッションブランドのプロモーションに携わる。美術館におけるファッション展示やサイエンスフィクションにおけるファッション、また近年はバイオグラフィーとしての個人の装いの遍歴に関心を寄せる。