2023-03-12

ISSUE

003

CATEGORY:
Critique

LOCATION:

公共性を問われるファッションとファッションデザインの現況

Text by 太田知也

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2022年11月13日に渋谷パルコにて開催されたサステナブルファッションをめぐるカンファレンス「FASHION FOR THE PLANET」。株式会社ゴールドウインとSynflux株式会社のコラボレーションプロジェクト「SYN-GRID」の発表を記念して開催された本イベントでは、昨今のサステナブルファッションの潮流から、ディープテックの取り組み、惑星規模での未来に向けた議論といった多様な視点からのセッションが展開された。

今回、このイベントを振り返ると同時に、ここで展開された議論をさらに深堀り、補完し、さらなる活動へと繋げるためのクリティーク集「FASHION FOR THE PLANET EXTENDED」をお届けする。イベントでの議論をもとに、若手の研究者や活動家たちは何を受け止め、考えたのか。さらなる展開へと期待が高まるテクストを、お楽しみいただきたい。

今回は国内外のサステナブルファッションの潮流を議論したセッション、「SUSTAINABLE FASHION TRANSITION:サステナブルファッションの現在と未来」に対して、デザイナーでリサーチャーでもある太田知也さんの批評を寄せていただいた。

※イベントのアーカイヴはこちらからご覧いただけます。

Session 1 「サステナブルファッションの現在と未来/SUSTAINABLE FASHION TRANSITION」
水野大二郎(京都工芸繊維大学教授)+俣野敏道(経済産業省ファッション政策室長)+向千鶴(執行役員「WWDJAPAN」編集統括兼サステナビリティ・ディレクター)


本稿の目的は、水野大二郎とシンフラックスがファッション産業のうちにおいて行おうとしている取り組みを、第三者の視点から言語化することである。言語化の作業を試みるうえで、両者の編著書『サステナブル・ファッション』と併せて「ファッションの未来を考えるカンファレンス」のSession1を読解していくことになる。はじめに本稿の結論を提示しておくと、こうした諸実践を通じて両名が目指しているのは、ファッションデザインに代替的な方法論を導入することで、従来的なファッションデザインへの批判的かつ公共的な啓蒙の契機とすることではないだろうか。

[1]

水野大二郎+Synflux『サステナブル・ファッション──ありうるかもしれない未来』、学芸出版社、2022年、95頁。

[2]

蘆田裕史『言葉と衣服』、アダチプレス、2021年、122頁。

近代的なファッション産業の進歩史観と、それへの批判

ファッション産業を取りまく現状認識について簡単に整理したい。持続可能性や気候危機が取り沙汰されるなか、この産業は石油産業に次ぐ第二の有害性を持つとされ、強い逆風にさらされている。産業が丸ごと変わる必要があると主張する声も多い。こうした事態の反映として、「グリーン・ウォッシュ」(環境配慮的な企業活動に広報的な意図のみを指摘する)という批判的言辞がしばしば聞かれる昨今の状況があるようにも思われる。
産業の変革への期待は「ファッションの未来を考えるカンファレンス」Session1においても語られた。漸進的な持続可能性の達成ではなく、デジタルツイン(物理空間に実在しているものを仮想空間でそっくり表現すること)的に仮構されたもうひとつの地球のなかで、政策・技術開発・ビジネスモデル等を設計したり検証したりするという研究計画である(水野氏の発言より)。また、水野+シンフラックス編著『サステナブル・ファッション』のなかでも、システム変革を担うデザイナー像──「生産や廃棄の仕組み、市場の規範、システムなど設計思想全体を変革する『システミック・デザイナー』とでも呼べるような新しい職能」【1】──が提案されている。

水野大二郎+Synflux『サステナブル・ファッション──ありうるかもしれない未来』



しかし、ファッションが内在する近代性に関する理論に基づけば、新規的な施策の提案や現状を変革することへの希求それ自体が、ファッション産業に一種の恒常性をもたらしてしまっている。つまりおおざっぱに言って、“ファッションの未来は変わる”と繰り返し主張することは、“ファッションが変わることなく続いていく”ための、いわば養分でもあるのだ。ボードレールの「流行/モード」概念のうちに進歩史観を読み取る蘆田の言葉を、ここで引用したい。
「ボードレールのように現在を称揚する態度は畢竟、進歩史観〔中略〕を生み出す。『いま・ここ』に魅力を見出すことは、昨日よりも今日のほうが素晴らしい、そして今日よりも明日のほうがさらに素晴らしいという思考につながるからだ。〔中略〕これはまさに、近代以降の大量生産・大量消費社会が新しい流行を次々に生み出し、かつて流行したものに『流行遅れ』の烙印を押し、存在価値のないものとして貶めてしまうこととパラレルである」【2】。このあとの箇所で、蘆田はファッション産業が伝統的に採用しているシーズン制度を批判することになる。

[3]

同書、第一章を参照。

[4]

本稿の本筋では扱いきれないひとつの論点を提示したい。それは時間性の問題である。『サステナブル・ファッション』で活用される生分解性の素材は、シーズン制が支配する時間には同期することなく、独自の生物学的な腐敗の周期で衣服になったりならなかったりする。なにかしらそこには、既存の〈ファッション〉から逸脱した〈ファッションデザイン〉を予感させるものがある。

[5]

「ファッションの未来に関する報告書について」、経済産業省、https://www.meti.go.jp/shingikai/mono_info_service/fashion_future/20220428_report.html(2023年1月31日アクセス)

[6]

だが、「ファッションの未来を考えるカンファレンス」Session1の水野発言には、「わかるひとにはわかる」式のプレゼンテーションが見受けられた。研究会での活動とイベント登壇時の言論とのあいだに一貫性の不備を指摘できるだろう。

ファッションデザインに公共性を導入する

では、ファッションを取りまくサステナビリティ偏重の言説は、いっときの流行に過ぎぬと一蹴してよいのだろうか? 具体的には、『サステナブル・ファッション』のような著作を、どのように読めばよいだろうか? 同書が主張する変革可能性に焦点化して読んでしまうと、かえって近代的かつ環境負荷の高いファッション産業を追認することになってしまう。ここに至り、異なる読解戦略が必要になっているように思われる。
ふたたび蘆田に基づいて考えてみるなら、〈ファッション〉と〈ファッションデザイン〉の腑分けを、いまこそ持ち出すべきときかもしれない【3】。産業活動ないしは社会現象としての〈ファッション〉から区別されるかたちで、問題解決行為としての〈ファッションデザイン〉が存在するのだ、と前提してみる。すると、『サステナブル・ファッション』で編著者らが示した成果には、従来的なファッションデザインがふくむ諸問題の指摘に根ざした、代替的な方法論の提案があったと評価できそうだ。その内実を要約すれば、以下のようになると思う。

1.デザイン手法の開発:新規素材の利活用(生分解性の素材や生活廃棄物)、生産やデザインの最適化(アルゴリズムの導入)
2.批判的・科学的な啓蒙:既存ファッション産業の問題指摘、代替的な未来シナリオの提示、脱物質化したファッションの在り方に関するビジョン提示(仮想空間上のアバター衣類など)
3.環境倫理的な視点:人間中心性への反省、多種との共生のビジョン

従来的なファッションのシステムのもとでは、シーズンごとのファッションショーに合わせるかたちで、絶えず新作の衣類が発表されてきた【4】。新作発表に際しては、新規性の演出やら消費欲望の喚起やらがファッションデザインの目的となってくる。思うのだが、そのときは後景に退いていた市民社会への配慮、これをないがしろにしないかたちでのファッションデザインの可能性が『サステナブル・ファッション』においては示されているのではないか。言い換えれば、同書の成果は、ファッションデザインのなかに公共性を導入することだったと考えられる。

「ファッションの未来に関する報告書について」、経済産業省



デザインの実践よりは抽象化するものの、似たような試みには、水野が座長を努めた経産省の研究会があるだろう。その内容は「ファッションの未来に関する報告書」【5】にまとめられているが、こうした研究会の主催もまた公共性導入の一環であると読み解けば価値がありそうだ。産業従事者のあいだで意見交換や対話の場を設け、場合によっては啓蒙の機会とすることである【6】。
ファッションデザインの現場が公共的な問題意識をもつことと、ファッション産業が変革すること。両者に関係があるのかどうかは、じつのところよくわからない。そしてもちろん、公共性に目覚めつつあるファッション産業の従事者は水野とシンフラックスに限らない。どうあれ、19世紀以来の近代的なファッション産業が現代性と切り結んでいるさまは興味深い。ファッションの終わりか、その近代性の終わりか──どちらを想像するほうがより確からしいだろうか?

太田知也

1992年生まれ。デザイナー、リサーチャー。慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 修士課程修了。修士(デザイン)。ゲンロンSF創作講座第一期生。近年では、未来洞察やクリティカル・デザインといったアート&デザインの手法/理論に関する著述や実作を発表している。執筆事例に『SPECULATIONS──人間中心主義のデザインをこえて』(共編著/BNN新社、2019年)、『クリティカル・デザインとはなにか?──問いと物語を構築するためのデザイン理論入門』(共監訳/BNN新社、2019年)など。展示・制作事例に「彗星密室」(共作/WHYNOT. TOKYO、2021年)など。